蘇鉄の枯山水がめっちゃかっこいい!!妙国寺

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おはようございます。
私はいつも朝は10chを見ているのですが大阪では読売テレビの”すまたん”と日本テレビの”ZIP”が入れ替わりながら放送されています。関西ローカルのすまたんは大好きななのですが、ZIPに切り替わるとちょっとつまらなくなるので何となくザッピングしているとテレビ東京で”朝の!さんぽ道”という番組に戦場カメラマンの渡部陽一さんが出演していました。
番組は朝の板橋区を渡部さんが散歩しながら住民の方とお話しするようなよくある街ブラロケなんですが、なにかすごい違和感がある、、、、
あ!!渡部さん普通のテンポでしゃべってもうてる!!???しかもちょっと早口なんです!!あの独特な間とゆっくりとした口調がうりのはずの戦場カメラマンが、、、なんやったら軽快に”なるほどなるほど”とか営業マンバリの相槌うってもうてるんです、、、、
なにか時代の流れ的なもの感じますよね!?番組会議的なものとか想像しますよね!?朝から切なくなりました大人の男の葛藤とか考えちゃいました、、、

本日は堺にある一つのお寺を紹介したいです。戦場カメラマンじゃないんです。
妙国寺というお寺なんですが私的に堺で一番おすすめのお寺で何がそんなにおすすめかといいますと樹齢1100年を超える天然記念物にも指定された大蘇鉄と日本唯一の蘇鉄の枯山水がめっちゃかっこいいんです。ほんとにおすすめです!!

伝説の大蘇鉄

境内にある樹齢1100年を超える大蘇鉄は織田信長公にまつわる伝説があります。

戦国時代に、遠い南の国から運ばれてきたという妙國寺の蘇鉄は当時大変珍しいものでした。天下統一を果たした織田信長もその姿に惚れ込みついにその権力をもって安土城へ蘇鉄を移植させてしまいました。
安土城に持ち帰られた、その蘇鉄は毎夜毎夜「堺へ帰りたい」と夜泣きをしました。毎夜毎夜、夜泣きをする蘇鉄に激怒した信長は部下にソテツを切らせたところ、切り口より鮮血が流れ、大蛇のごとく悶絶。さすがの信長も気味悪がり、ついにソテツを妙國寺に返したのです。ですが、痛めつけられたソテツは傷つき今にも枯れそうでした。その蘇鉄を見た日珖上人が読経したところなんと蘇鉄が蘇ったのです。そのことから「蘇鉄」という名前が付いたといわれています。

「英傑三国誌伝」にも登場するこの話は織田信長を震撼させた蘇鉄の伝説として伝えられています。

枯山水

枯山水とは水を用いず砂や石で山水を表現する庭園様式です。
妙国寺の枯山水は蘇鉄を中心とした平庭平泉回遊式枯山水庭園です。
家康に仕えていた小堀遠州が、家康から兼ねてから聞いていたこの妙国寺を訪れ、大蘇鉄を含む庭の美しさに目を奪われたそうです。
そして、寺の許しをもらい石組みの中央に富士山、右側に富士川、左側に大井川が流れ遠州灘に注いでいる景観をとり入れ、見事に蘇鉄の枯山水の庭に駿府の情景を再現したと伝えられています。

堺事件

慶応4年(1868年)堺港に上陸してきたフランス軍艦デュプレクスの兵に対し、堺の警固にあたっていた土佐藩士は船に帰るように促すも言葉が通じず仕方なく捕縛しようとしましたが状況を理解できないフランス兵は抵抗し土佐藩の反旗を奪う無礼に出てしまいました。逃げようとするフランス兵相手に発砲したことから銃撃戦が始まりフランス兵11人が死亡。
フランス側はこのことを「何もしてないのにいきなり発砲された」ととらえ下手人の処罰を求めました。戊辰戦争の真っ只中話をこじらすわけにはいかず明治政府は要求をのみ隊長以下二十名を処刑することで話は落ち着きます。
職務に忠実だっただけの土佐藩士たちは悔しさから切腹し自ら腸をつかみ出し恫喝したそうです。あまりの光景に立ち会ったトゥアール艦長もフランス兵の死者と同じ11人まで切腹したところで処刑を中止しました。
11人の土佐藩藩士のお墓が妙国寺内にあり山門を出たところに「とさのさむらいはらきりのはか」と刻まれた碑があります。

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